趣味と恵比寿:建築散歩

Vol.1「MA2 Gallery」(建築家・千葉学)【前編】

June 29th,2023
「趣味と恵比寿<建築散歩>」は、恵比寿の街中にある名建築を巡り、街の魅力を建築という視点から捉え直す新企画です。どんなオーナーがどんな建築家に依頼し、どのような意図や想いを持って建てられたのか。そんなことを深く知ると、ふだん何気なく見ている街並みが急に色鮮やかに見えることがあります。

初回は、恵比寿の街で国内外のアーティストの作品を発信し続けている「MA2 Gallery」をご紹介。建築家は千葉学さんです。 前編では、オーナーであり、ギャラリストの松原昌美さんに、17年前にこの地にどんな想いでギャラリーを建てようと思われたのか、それまでの道のりも含めてお話をうかがいました。
Text : Kana Yokota  Photo : ERI MASUDA  Edit & Design : BAUM LTD.
Text : Kana Yokota  Photo : ERI MASUDA  Edit & Design : BAUM LTD.

“デザインされていないようなデザイン”をした建築を思い描いて

恵比寿のアートスポットといえば「MA2 Gallery」というのは、アート好きな方であれば誰もが知るところかと思いますが、ここは建築に興味のある方にとっても有名な場所。

恵比寿駅から白金に向かう通りを歩くこと10分、緩やかな坂の途中の交差点に立つダークブラウンの外観の建物は、はじめて見る人は思わず足をとめてしまうかもしれません。

鉄素材の重い扉をあけると、奥の天井部からやわらかな自然光が差し込み、スッと外界から切り離される感覚を覚えます。壁にかけられた絵画や彫刻作品が、静謐な空間にありありと輪郭を際立たせるのですが、展覧会ごとに雰囲気もがらりと変わることもこのギャラリーの魅力です。

竣工は2006年、過去にニューヨークに住んでいたという松原夫妻が、東京でアートギャラリーを始めたいと思い立ち、巡り会ったのがこの恵比寿の土地でした。

「夫がアーティストだったこともあり、日本に帰国するタイミングで私もアートに関わる仕事がしたいなと思い、オフィス兼ギャラリーをつくるプロジェクトをスタートしました。といっても予算が潤沢だったわけでもなく、たくさんの場所を探しながらこの少し変わった形をした土地に出会ったんです。ギャラリーの中を歩かれていて気づいたと思いますが、ここは90度の場所がどこにもない、五角形のいびつな形をしているんです」と、オーナーであり、ギャラリストの松原昌美さんが教えてくれました。

カテゴリーにこだわらず、独自性を追求しながら良質な現代美術作品を紹介している「MA2 Gallery」。取扱作家の展覧会のみだけでなく、さまざまなボーダーを超えてテーマ性のある企画展を開催しています。

ギャラリストの松原昌美さん。ギャラリー運営だけでなく、国内外のアートフェアへの出展、作家・作品のプロモーション、そしてアートを身近に感じるイベントやプロジェクトなども同時に手がけている。

交差点の角にあり、野球のホームベース型をしたこの土地にどんなギャラリーをつくるか、どんな建築家に依頼するか。最初に夫妻がイメージしたのは、ギャラリーの主役であるアート作品が引き立つようなミニマルな建物。奇を衒うことなく、だけれども自然と街の象徴になるような、デザインされていないようなデザインをした建築を思い描いたそうです。

そんな空間設計を誰に依頼するか、浮かんだのは、当時関東圏を中心にシンプルかつ洗練されたデザインの個人宅やコーポラティブハウスを多く手がけていた建築家の千葉学さんでした。

「ギャラリーというと、作品の劣化などを守るために、自然光を遮断したホワイトキューブと言われる形状にすることが一般的だったと思いますが、この場所はもっと自宅に近い感覚でアートを楽しんでもらえるような空間にしたいなと思ったことが千葉さんにお願いしたきっかけです。窓からの光が差し込んだ時にこのガラスのオブジェはこんな風に見えるんだとか、本棚の横に飾るとこんなイメージなんだといったようなことを伝えられるようなギャラリーにしたいとお願いした記憶がありますが、あとは本当に千葉さんにお任せしました」

打ち合わせを経て、千葉さんから提案を受けたのは、交差点に面した土地の形そのままを生かした五角形のギャラリー。

「小さな土地ですが、この交差点そのもののような、ランドマークとなるような建築にしたいと仰ってくださり、図面をみると本当に五角形で(笑)。建物を建てる時って、隣地境界線から50センチは空けないといけないという法律があるそうなのですが、本当に50センチずつ線を引いてできあがった形なんです。土地の歴史とか記憶に想いを馳せると、ずっと昔から誰かが土地を取得しようとするたびにさまざまな線が引かれてきたと思うのですが、その“境界線”のまま建てようと考えられたんですね。境界線って人によって考え方は違うと思いますが、人間だと自分の皮膚の中と外とか、建築だと窓の外と中とか、いろいろありますよね。私たちは島国に住んでいるから国同士の境界を日頃意識することはないけれど、大陸に住んでいる人は国同士の境界をすごく意識していると思うんです。昨今のウクライナとロシアの問題も、まさしく境界で起こっているわけで。そんなことを意識する建築にしたいということだったんです」

鉄板を貼り付けた4階建てのダークブラウンの外観に大きな4つの窓が設けられたギャラリーは、オープンしてまもなく話題となり、アートや建築好きの人が遠方からわざわざ訪れる“聖地”的な存在となりました。

「窓から見える景色や空間のいびつなかたち、天井から降り注ぐ光など、この建築からインスピレーションを得て作品をつくってくださるアーティストもたくさんいますし、毎回新たな発見や気づきがあって面白いですよ」

松原さんやスタッフが常駐するスペースは3階のオフィス。4階と吹き抜けで繋がった開放感のある場所で過ごしていると、朝、大きな窓から差し込む光が徐々に変化し、夕方にはオレンジ色に染まることもあるという。

「袴田京太郎さんのこの作品に自然光が差し込むと、壁に赤い影が浮かび上がって、とても美しいんですよ。さらに面白いのが夜。建物が闇にまみれてこの窓だけが浮かび上がるんです。外から見ると四角い4つの光がぽんぽんと」

コロナ禍でギャラリーの開廊が叶わないなか、ギャラリーの窓を生かし、通りを歩く人々のために開催した袴田京太郎さんの展覧会「WINDOW GALLERY」

誰かの血となり肉となるような、心に響くアートを紹介したい

6月の取材時に開催されていた「みまちがう水」展は、袴田京太朗さん、保井智貴さん、関根直子さん、大西伸明さん4名のアーティストによるグループ展でしたが、展示は「みまちがう水」という展覧会のタイトルを決定するLINEでのやりとりから構成を考えられたそうです。

「みまちがう水、というタイトルに行き着くまでに、実はアーティストのみなさんとのLINEでいろんな議論がなされたんですね。それは、最初に私が、作家の宮本輝さんが『水だと思って飲んだら血だった』と感じさせる小説を理想としているという話を聞いて、私もそんなギャラリーでありたいという話をしたことがきっかけだったんです。文章によって抽象化されたものが、読者の中で具象化するように、ここで観たアートが、ひしひしと、誰かの血となり肉となるような、心に響くようなものであってほしいという話をしたんです。袴田さんの幼児の作品は、そんな私の話からイメージしてつくってくださった新作です」

NYに住んでいた1980年代、キース・ヘリングが注目されるきっかけとなった地下鉄構内での「サブウェイ・ドローイング」をリアルに体験していたという松原さん。マンハッタンではどんな職業の人でも関係なく、日常的に鑑賞したアートの話をしていたことが印象的だったといいます。帰国後、アートがもっと人々の日常になればという想いでギャラリーをはじめたのは松原さんが50才の時でしたが、どんなこともはじめるのに遅い早いはないという素敵なメッセージもくださいました。

「やるかやらないか、それが大切だと思います。ギャラリーを始めた頃は、アーティストのつながりがまったくなくて、手紙を送り、10年越しに個展を開催することができたアーティストさんもいます。経験もないし建物もないときに、一緒にやりましょうと言ってくださったアーティストの方々は本当に宝物ですし、ファミリーのような感じですね。千葉先生も、この16年間でたくさんの建築賞を受賞されて、ますます素晴らしい建築家になられましたが、本当に建築をお願いできて良かったと心から感謝しています」

取材中、現代アート愛好家の藤原隆志さんが訪れ、「MA2 Gallery」の魅力を語ってくれました。

「ここは、天井が高く開放感があり、ギャラリーとしてはとても贅沢な空間だと思います。1階の自然光の入り方なども秀逸ですし、色というのは物質が持っている固有のものではなく光の反射なので、自然光を上手く取り入れて作品を魅せるというのはギャラリーにとってすごく大切なことだと思います」

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「恵比寿にギャラリーを構えたのは特にゆかりがあったわけではなかったのですが、16年ここにいて感じることは街の雰囲気がすごく変わったということ。若い人がすごく増えたと思います。少し入ると町内会がしっかりしてたり、地元の方が根付いていらして、面白い街ですよね」。恵比寿という街について聞くと、松原さんはこう答えてくれました。ここでしかできないことや、心を動かすようなアートを紹介したい。そんな想いで建築にもこだわった「MA2 Gallery」は、長年に亘り、アーティストにインスピレーションを与える唯一無二の場所として存在しています。後編では、そんな想いをかたちにした建築家・千葉学さんに話を伺います。
(✳︎後編は7月6日公開予定です)

<MA2 Gallery>

〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿3-3-8
TEL.03-3444-1133
開館時間:13:00 〜 18:00
休館日:月曜、日曜、祝日(火曜日は事前予約制)
https://www.ma2gallery.com/

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