趣味と恵比寿:建築散歩

Vol.1「MA2 Gallery」(建築家・千葉学)【後編】

July 6th,2023
「趣味と恵比寿<建築散歩>」は、恵比寿の街中にある名建築を巡り、街の魅力を建築という視点から捉え直す新企画です。どんなオーナーがどんな建築家に依頼し、どのような意図や想いを持って建てられたのか。そんなことを深く知ると、ふだん何気なく見ている街並みが急に色鮮やかに見えることがあります。

初回は、恵比寿の街で国内外のアーティストの作品を発信し続けている「MA2 Gallery」をご紹介。後編では、建築家の千葉学さんにインタビュー。建築依頼を受けて、どのように発想されたのか、アートギャラリーとしての建築の在り方などを伺いました。
Text : Kana Yokota  Photo : ERI MASUDA  Edit & Design : BAUM LTD.
Text : Kana Yokota  Photo : ERI MASUDA  Edit & Design : BAUM LTD.

どこにでもあるような交差点ではなく、ここにしかない交差点であるということ

千葉さんは現在、東京・代官山ヒルサイドテラスに事務所を構えられています。長く、神宮前エリアに事務所があったそうですが、昨年移転されました。ちなみに、代官山ヒルサイドテラスは旧山手通り沿いに位置し、長年にわたって朝倉家と建築家の槇文彦さんが協働して建設した集合住宅と商業・文化施設です。

東京を代表する名建築で建築の仕事をされている千葉さんは、大学や公共施設、集合住宅などさまざまな建築を手がけられており、スタイリッシュでありながらも自然と街に溶け込むようなニュートラルなデザインが魅力です。

16年前、千葉さんは松原夫妻に建築依頼を受けた時、どのようなイメージを抱かれたのでしょうか?

千葉学さん(建築家 東京大学大学院工学系研究科 教授)Photo:Wu chia-jung

「MA2 Galleryの最初の打ち合わせはすごくよく覚えていて、特に印象的だったのが、オーナーの松原さんご夫妻がとにかく洗練されていて、素敵だったことです。ご主人がアーティストで、長くNYに住まわれていたそうですが、とにかくデザインや、良いものを見極める目をお持ちだということを強く感じたことを覚えています。そして、どんな建築にしたいかという話をした時に、『デザインしているということがわからないようなデザインにしてほしい』と言われたのです。それは、言い換えると『デザインしたということがすぐにわかるようなものはデザインとして良いと思っていない』ということだったのですが、なんとも禅問答のような投げかけでした(笑)。そんな松原さんの考え方に最初は驚いたのですが、素晴らしいテーマだなと思ったんです。僕も建築の仕事をやってきて、面白い形や変わった素材を使うということがデザインじゃないなと思っていたので、その投げかけに心を動かされましたし、これはきっと面白い、チャレンジングな仕事になるだろうなと感じたことを覚えています」

「MA2 Gallery」がある、恵比寿駅から白金に抜ける道の途中の交差点は、どこにでもありそうだけれど、実際にはそこにしかない特別な交差点だと感じたと千葉さんは話します。

「恵比寿駅からの道は緩やかな登り勾配で、ちょうどこの交差点で頂点になっているんです。交差するもう一つの通りも緩やかな坂道で、交差点はその途中にあるから、交わる3つの道は下り坂になっていて、残りの一つだけが登り道、という形状です。下り坂の方向には街の広がる風景を遠くまで見渡すことができる一方で、登り坂の方向には、街並みがファサードとして印象深く飛び込んできます。一方の通り沿いには高くて大きな建物が、もう一方には比較的背の低い建物が並んでいました。日本の街は大通りに沿って大きな高層の建物が建ち、街の中の比較的小さな道沿いには規模の大きくない建物が残るという特徴を持っています。それを槇文彦さんは薄皮饅頭に例えて「皮とあんこ」と呼んだのですが、この交差点はまさに『皮とあんこ』の構造が垣間見える場所でした。これだけのことを取り上げても、ここはやはり、どこにでもあるような交差点ではなく、ここにしかない交差点になるのに十分な特質を持ち合わせていると思ったんです」

土地の形にはさまざまな歴史の痕跡がある。道路をどう通したか、どう分割したか、その土地の歴史によって形が表れてくる。いわば、都市の切断面としてある交差点をそのまま建築にしたような空間が作れないかと発想したのが、千葉さんが最初に建築計画として考えたことでした。交差点に面して建っている建築としてではなく、交差点そのものであるような建築をつくれないかと松原夫妻に提案されました。

「僕はどんな仕事でも、依頼があるといったん頭をまっさらな状態にして取り組むことを心がけているんです。というのも、建築って一回きりじゃないですか。同じ場所で2回建てることはそうそうないですし、同じクライアントでも、同じ場所に同じプログラムで建てるということもまずない。土地もクライアントも初めて、という一回限りの出会いの中でできることを見つけていくことが面白いなと思っていて、土地も施主のこともわからないうちに、こんなデザインにしようというのは思わないことにしているんです。なので、松原さんが仰った、デザインしないようなデザインとはなんだろうかということをずっと考えましたし、あの土地が魅力的だったので、交差点とアートギャラリーというものをどんな風につなげるのかと想像を巡らせました」

松原夫妻が、どこにもない、ここでしかできないような展示ができるギャラリーにしたいという想いも千葉さんの心を動かしたといいます。

「環境に呼応した、サイトスペシフィックな作品が期待される場所でもあったので、この建築を交差点でしかできない、交差点そのもののような建築にすることが、松原さんの求める場への解答になるのではと考えました。専門的な話になりますが、この土地は、隅切りされた面と、道路に面する他の2面がほとんど同じ長さなんですね、屏風のように。その折れ曲がる3つの面に沿うように、各階に一ヶ所ずつ大きな窓を設けました。床から天井まで、可能な限り大きな窓が、それぞれの方向を向いて開いています。そして、各階への階段は、敷地の裏側を、まるで隣地境界の沿うように上っています。窓は、交差点で面的に展開する都市の風景を、各階に分散して配置していますが、逆に階段は外の風景とは切り離された移動の空間に特化しています。作品を鑑賞しながら、方向空間を失うような昇り降りの体験と、その都度違う方向に展開するダイナミックな都市の風景を体験することで、“この場所に自分がいる”ということを感じてほしいという想いを込めました」

土地のことをより深く知る気づきになること、インスピレーションを与えること

作品保全のため、美術館やアートギャラリーは自然光を嫌いますが、松原さんは光をあえて取り入れたいとも言われたそうです。

「それであれば、移ろう光を空間のなかでより美しく見せたいと思ったんですね。光がいろんなかたちでギャラリー空間の奥行きを感じさせたり、作品と光がいいかたちでコラボレーションできたりするといいなと思いました」

当時、千葉さんは技術的にもとても難しいことにチャレンジしたことを教えてくれました。外壁は全部黒い鉄板を貼り付けているのですが、これらはすべて現場で溶接しているのだとか。繋ぎ目をなるべく見せず、モノコック(=単一の)にしたいという思いから、職人さんに一枚一枚溶接してもらったそうです。

さらには、本来建物の角にあるべき柱の位置も工夫しました。

「普通に考えると、建物の角に真っ直ぐに柱を通すのですが、交差点の風景を最大限美しく切り取るような形状の窓を作ろうと思うと、柱が邪魔になる。そこで、フロアごとに柱をジグザグにずらして通すという複雑な構造にしました。交差点そのもののような建築を目指すことは、様々な面でチャレンジングでした。柱の構造はもちろん、窓もアルミサッシなどを使わず、鉄板に直接ガラスをはめて極限まで薄くして完成させています。建築は、それができることで場所の魅力がもっと浮かび上がってくるようなものにならないといけないと思っているのですが、そういったディテールも含めて重要なのです。こうしてできた空間が、アーティストの方に少しでも刺激になれば嬉しいなと思っていました」

「デザインてなんのためにあるかというと、もちろん美しいものでないといけないんですけど、一方で建築は人が生活したり、体験したりするものなので、外から見て面白い建物というだけでは半分しか目的を果たせてないんですよね。やはり中に入った時の感覚や感情であったり、その土地のことをより深く知る気づきを得たり、建築を通してそういうことができるといいなと思っているんです。「デザインされていないデザイン」というのは、そういうことを端的に表している言葉だと、今でも心に残っています。

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「デザインされていないデザイン」。松原さんのお題にどう答えるか、最初から最後までその言葉が頭から離れなかったという千葉さんですが、導き出したのは、「交差点そのもののような建築」にすること。存在を消すかのようにしてつくられた漆黒の建造物ですが、確実に恵比寿の街の景色の象徴となりました。「水と思って飲んだら血だった」。この建築も同じように、そこに込められた話を知ることで現代アートのようにひしひしと心に響いてくるものがあります。それが建築の面白さであり、魅力なのではないでしょうか。

<MA2 Gallery>

〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿3-3-8
TEL.03-3444-1133
開館時間:13:00 〜 18:00 
休館日:月曜、日曜、祝日(火曜日は事前予約制)
https://www.ma2gallery.com/

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