Stories Behind TOP

写真・映像の歴史を紡ぎ、企画を生み出す学芸員の視点と仕事【後編】

August 5th,2022

「光(photo-)」を「描く(-graph)」と書いて「photograph」。世界ではじめて光を映し取る技術が発明されてから、約200年。街を歩けばスマートフォン片手に「パシャリ」とシャッター音の響く光景や、インターネットにアクセスすれば国境を超えて、名も知らない人たちの視点で切り取られた数えきれないほどの写真や映像に出会う昨今。もしも写真や映像がこの世界から無くなったら...?なんて日常を想像できないくらい、誰にとっても身近になったそれらが、時代を経てもなおわたしたちを惹きつけてやまない理由は一体何なのでしょうか。

1995年に開館して以来、累計800万人をこえる来場者を誇る写真・映像専門の総合美術館として、約3万6千点を超えるコレクションを有する東京都写真美術館(略称TOP)は、そんな本質的な問いに向き合いながら、年々多様化する写真・映像文化の奥行きを肌で感じられる場所のひとつ。

東京都写真美術館設立の背景には、当時の日本の美術館の環境があったといいます。欧米の主な美術館には写真部門が設けられ「表現としての写真(シリアス・フォトグラフィ)」と「コマーシャルとしての写真」の区別があったのに対し、日本では写真の技術に重きをおいた教育や研究が多く、「表現としての写真や映像」を扱う傾向が見られませんでした。そこで、日本でも「芸術表現」としての写真・映像というジャンルを確立すべく、首都である東京で、写真映像のセンター的な役割を担う美術館として東京都写真美術館はスタートしました。

国内外の名作を紹介する展覧会や教育普及事業、図書室のほか、1階ホールの映画上映やミュージアム・ショップ、カフェなど多様な事業を手掛ける東京都写真美術館。東京都写真美術館ならではの役割や企画展をつくるプロセスを紹介した前編に続き、後編では、学芸員を務める多田かおりさん、山田裕理さんに展覧会の企画以外の業務や学芸員に至るまでの経緯、そして公共にひらかれた美術館としての今後の展望についてお話を伺いました。

Text & Edit : Moe Nishiyama          Photo : Yuka Ikenoya(YUKAI)          Edit & Design : BAUM LTD.
Text & Edit : Moe Nishiyama
Photo : Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit & Design : BAUM LTD.

作品の管理、調査、研究。
変わらないために、更新し続ける

展覧会の企画は日々の業務と並行して進めると伺いましたが、具体的にどのようなことをされているのでしょうか?

山田 東京都写真美術館では毎年、写真・映像作品を購入もしくは各所から寄贈いただき、写真だけでも年間で何百点もの新規収蔵品が入ってきます。作品1点ごとに新規収蔵作品として登録を行い、他館の展覧会に貸し出す場合も、出展手続きから終了後の返却処理まで行います。また作品の状態が悪いものはまずそれぞれ対応可能な技術者にどのように修復をしたら良いか相談します。最近は「Tokyo Museum Collection」といって、オンライン上で作品を公開するために、作品の複写を進めていますね。資料として寄贈された写真のなかには、わたしたち学芸員や専門の職員が共にリサーチをして詳細を明かしていくものもあります。

多田 作品を修復する際は、収蔵された作家が存命であれば今展示できるように部品を新しくして、作家ご本人からどのような理由でこの部分を改修したなどレポートを作っていただいたり、科学的な手法で年代を特定することもあります。その際、作家だけではなく美術作品専門の改修ができる業者やエンジニアの方に入ってもらい、プロジェクト化することもあったりします。映像部門は写真部門ほど収蔵点数が多くないのですが、動画の資料はオリジナルが破損してしまった場合に備えてバックアップを取り、デジタルアーカイブとして保存しています。デジタルデータなのでメタデータを管理する必要があり、そのデータベースを作成しています。写真は物理的な実態があるからこその大変さがあり、映像は実態がないからこその大変さがあると感じますね。

日々の業務のなかでリサーチまで学芸員のみなさんがされているとは驚きです。収蔵された資料がどのようなものであるか、というリサーチはどのように行われるのでしょう?

山田 リサーチ方法は資料にもよりますが、写真部門には保存科学研究室という専門機器を使って資料を調査するための部署があります。もっとアナログな方法で、写真の中に写っているものから作品の年代を特定することもあります。

一方、年々科学的な研究が進むことで、国際的にも写真・映像作品の管理方法の研究が進み、展示方法や適切な保存方法はアップデートされ続けています。たとえば写真は物質として光に弱いですが、LEDライトが生まれたことで照度が低くても明るく見えるようになりました。作品の状態を見ながらも、常に世界の技術研究の動向を追い、それぞれにベストな管理方法についてアンテナを張っているので気が抜けないですね。展覧会業務は開催日が決まっているので、そこを目指して取り組むことができるのですが、作品管理には終わりがない。貴重な作品資料を将来に伝えていくための継続的な努力が求められているのだと思います。

作家に寄り添い、美術の歴史を紡ぐため辿り着いた学芸員の仕事

今まで東京都写真美術館についてのお話を伺ってきましたが、一歩踏み込んで、「学芸員」というお仕事について聞かせてください。企画のみならず、日々多様な業務をこなされるお二人が学芸員として働くことになった経緯を教えてください。

山田 色々なことが積み重なって今に至ると思うのですが、小さい頃から芸術も歴史も好きでした。ただ自分がアーティストになるというよりも、裏方で支える仕事をしたいなと。それが美術なのか舞台なのかわからなかったのですが、大学で美術史に出会い、歴史学に対する個人的な関心から、自分の視点でいろいろな物事を読み直してみたいなと思うようになりました。その上で、ゼロから表現を生み出すアーティストの方々の熱量の高い話を間近で聞きながら仕事ができることは、自分にとってこの上ない喜びだなと思い、学芸員になろうと決心しました。そして、自分が関わった作家さんの人柄であったり、どのような経緯でこの作品が生まれてきたのかということを、ひとつの歴史として創っていきたいと改めて感じるようになりました。素晴らしい学芸員の先輩方も多い上、わたしは現代作家の展示を企画することが多いので、その特権を利用してどんどん引き継いでいかなくてはいけないなと思っています。

多田 わたしも元々美術に興味があり、美大に進学したのですが、制作が中心の学科は教官もみなさんプロのアーティストで。命をかけて、とまでは言わないですが、創作することに対する責任感が強く、作品を世に出すことの意味を考えながら制作されていて。元々アーティスト志望ではなかったものの、自分にはそのプレッシャーと責任は負いきれないなという思いと同時に、ここで知った世界や作品を世に出していくためのお仕事をしたいなと思いました。最初はアーティスト・イン・レジデンスなど若手の作家を支援する組織に就職しました。そこでアーティストのサポートをしたり、サポートする側がどういった組織であるかを学びながら、2013年からは恵比寿映像祭に外部のスタッフとして関わるようになり、2020年から東京都写真美術館で職員として働くようになり、今に至ります。

第14回恵比寿映像祭「スペクタクル後」展示より 提供:東京都写真美術館 撮影:井上佐由紀

ひらかれた場所で、物事を読み直していく

歴史を紡いでいく方法として、研究施設に残るという選択肢や研究者としてはたらく道もあるなか、写真美術館の学芸員という立場に立ったからこそ見えてくるものがあれば教えてください。

山田 やはり学芸員の仕事は、“社会に何かを提示できる”というところが面白いと感じます。公立の美術館という開かれた場所だと、普段はアートへの関心が少ない方々にも見てもらえるかもしれない。展覧会が開くと、子が巣立ってしまうような、どこか自分の手から離れてしまうような感覚があるんですよね。もちろん、はじめからコントロールなんてできないのですが、学芸員としては展覧会が開かれるまでしか手を尽くすことができない。それは言葉を変えれば、展覧会が開いたら色々な人が批評を書いてくれたり、色々なお客さんが来て感想を言い合ってくれたり、それぞれの価値を見出してもらうことで、作り上げた空間と別のものが出来上がっていくということでもあります。自分の考えの枠組みを越えて展覧会の可能性が広がっていくのを見守ることができるのは、寂しくもあり楽しくもあります。

展覧会が終わった後も、共に展示をつくった作家との付き合いは、ある意味またそこからスタートして、関係者それぞれの繋がりもどんどん深くなっていく。これは美術館の財産であり、わたしたち学芸員の財産でもあります。ご一緒した作家が他の場所で展示をするときにも何かしら協力できたり、東京都写真美術館の展示があってこそ新たな作品が生まれる場合もあり、どんどん作家が活躍していくのを見ているのも楽しいですね。

多田 いくら作品のことを元々知っていたとしても、作家と作品と直に関わることで学び直すことがたくさんあります。自分が担当している展示も、一緒に関わってくださる方との対話から毎回新たな発見がある。美術輸送や施工、その他技術者の方などプロの方々と一緒に仕事をするので、周りの人にも恵まれていると思いますね。展示に来てくださるお客さんとのやりとりも同様に学びがあります。恵比寿映像祭で数年前に自分が企画した「フォレンジック・アーキテクチャー」というコレクティヴの展示をした際、70代くらいのお客さんで絶賛してくださる方たちがいて。ターゲットを想定していたわけではないのですが、社会的で政治的かつ実験的な展示にも関わらず、アートは年代を超えて通じることもあるのだと改めて気づかされました。

展示に関する制作物は外部デザイナーによるもの。
「イメージ・メイキングを分解する」2022年8月9日〜10月10日 東京都写真美術館 B1F 展示室にて開催

多田 美術館というとどうしても敷居の高いイメージがありますが、ふらっと気分転換に訪れられるような場所でありたいですし、何かを学びたいという学生の方や “これから何かつくりたい”と思う人にもぜひ来ていただきたいです。

作家が旅をさせてくれる、その先で。
新たなものの見方に出会う

最後に、写真や映像が誰にとっても身近にあり、意識せずとも情報として流れ込んでくる時代に、東京都写真美術館という場所からお二人が取り組みたいと思うことや、今後の展望を教えてください。

多田 子供から大人まで様々な来館者がいらっしゃるので一概には言えないですが、どうしてこの作品はこうなっているのだろう?と考えたりすることによってもたらされるある種の豊かさがあると思いますし、現実で起きていることに対しても別の角度から物事を捉えられるような視点を提示できるのがアートの役割でもあると感じています。芸術への興味のあるなしに関わらず、さまざまな年代の方にとって知的好奇心を満たしながらも、別のものの見方を提示できるような展覧会を企画できたらいいなと。たまたま足を運んで、作品に出会ってしまった、というところから何かを考えたり捉え直すきっかけになるような、そんな豊かな体験が作れたら嬉しいです。

山田 あるキュレーターの方が「作家がわたしたちを旅させてくれている」ということを仰っていて、本当にそうだなと。たとえば亡くなられている作家さんでも、地方で展示をすることになればわたしたちがその土地を訪れることになる。ある作家さんがいなければ生まれなかった、その地域やそこでの人との出会いが生まれます。海外の作品を展示するときも、作品を通して自分たちの見たことのない風景を見せてもらっているので、常にわたしは作家に旅をさせてもらっていると感じますね。その気持ちを忘れてはいけないなと思います。

今後取り組みたいと思っているのは、コロナ蔓延の常態化や、絶えず世界で対立や紛争が起きている今、あらためてわたしたちにとっての豊かさとは何か、どこに豊かさを感じることができるのかを考える展示です。展覧会を観に行けず、アートに触れていない日が続くと、わたしは水分不足のような感覚になります。逆に、良いものを見ると潤って満たされる感覚があります。アートの面白さがエンターテイメントと違うのは、観る人が能動的に考えることでリフレッシュしていく楽しさがあるところだと思います。やっぱり展示って潤いを与えてくれるものなんだなと思ってもらえたら嬉しいです。

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写真・映像文化を守ると同時に発信し続ける、東京都写真美術館の学芸員。表舞台の展示をつくるプロセスも、普段なかなか明るみにでない収蔵品管理や研究も、その背景には館をひらき他者と交わることで得る「新しいものの見方」という原動力があるようです。既存のものを再解釈し、作家や来場者の目を通して読み直すー。考え、つくり続けるお二人の姿から、わたしたちは何を学びとることができるのでしょうか。

Profile
多田かおり
東京都写真美術館学芸員。2013年度より東京都写真美術館主催の恵比寿映像祭に参加、アシスタント・キュレーターを経て2016年度から同祭キュレーター。同祭においてジョウ・タオ、フォレンジック・アーキテクチャーといった海外作家と並び、青柳菜摘、佐々木友輔、石原海など日本の若手作家を紹介してきた。2020年度より現職。
山田裕理
東京都写真美術館学芸員。IZU PHOTO MUSEUM(静岡)を経て2018年より現職。主な企画展に「フィオナ・タン アセント」展(2016)、「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol.18」展(2021)ほか、共同企画展に「愛について アジアン・コンテンポラリー」展(2018)、「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」展(2021)など。明治学院大学非常勤講師。
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